尾瀬国立公園トイレチップ支払い増加
概要
尾瀬保護財団が管理委託を受けている「山の鼻トイレ」において、利用者に対して求めている「トイレチップ」の支払を増加させるため、ナッジの知見を活用した介入を実施し、差分の差法により効果検証を行った。
背景
- 福島、群馬、新潟、栃木4県にまたがる尾瀬国立公園では、山岳地域という厳しい条件下で自然環境に影響を与えないよう特殊な汚水処理を行う公衆トイレの維持費をまかなうため、利用者に対し、1回につき100円の「トイレチップ」を求めている。
- しかし、尾瀬保護財団が管理している山の鼻トイレでは、本来入っているべき金額(100円×延べ利用回数)の3~4割程度しか支払いがない状態が続いており、公衆トイレの維持に必要な金額を賄うことが困難になっている。
- この不足分は、群馬県からの管理受託収入により補っており、トイレチップの金額を増加させ、持続可能な環境を整備する必要がある。
Behavior / Analysis:課題の特定とターゲット行動の設定
山の鼻トイレに一人1回100円のトイレチップを納めてもらうことを目標行動とし、尾瀬保護財団の担当者とPolicyGarageメンバーでディスカッションをしながら、トイレチップを払うまでの一連の行動プロセスと、各ステップの阻害要因と促進要因を特定した。
例えば、「100円を入れようと思う」という行動ステップでは、「意義を認識してもらえない」というほかに、「一人一回100円という認識がない(登山中に一回支払えばよい、家族で100円でよい、と考えている)」といった阻害要因もあると考えられる。
※黒字:行動ステップと阻害・促進要因
※赤字:介入の方向性案(黄色マーカーはこの時点で実現可能性と効果が高いと考えたもの(実際に採用したものとは異なる))
Strategy:介入設計
尾瀬保護財団が管理委託を受けている山の鼻トイレ1カ所で実施する介入策を検討した。
具体的にはまず、Behavior/Analysisのステップで検討をした介入の方向性から、下図のようにさらに具体的な取組(ナッジ案)を検討した。さらに実施制約や実現までの難易度、期待される効果の大きさ等を考慮して優先順位をつけ、採用する介入を絞り込んだ。
【制約】徴収方法の制限・ゼロ予算
- 園内には20カ所以上の公衆トイレがあるが、それらは様々な主体(環境省、福島県、群馬県、檜枝岐村、南会津町、東京電力など)が個別に管理している。
- そのため、相互に連携した取り組み(共通トイレチケットの導入など)は調整に時間を要するため、群馬県から尾瀬保護財団が管理委託を受けている山の鼻トイレだけでできる取り組みに限定した。
- また、山の鼻トイレは、群馬県の県有施設であるため、トイレチップの名称を「使用料」などと変えて支払いを「義務」とすることも、関連する条例改正などが必要となり時間を要する。
- 仮に、「お金を払わないと使えないトイレにする」場合も、工事費をどこから捻出するか、「たまたま100円玉を持っていなくて、トイレに入れない」となったらどうするのか等の論点が多く、検討に時間を要する。
3つの介入策:
①電子マネー(ペイペイ)
- 想定した入園客の行動:「払おうとしたら、小銭がない! あ、電子マネー対応だから大丈夫だ!」
- 介入の内容:ペイペイで簡単に支払えるようにする(EASTのE(Easy)に対応)。
②表示名称の変更&一人1回100円の周知徹底
- 想定した入園客の行動:「トイレは有料なんだ!払わないと」「さっき払ったからいいわけじゃないのね」「他人の視線を感じるから、払わなきゃな・・・」
- 介入の内容:「チップ」の文字を小さくし支払いに対する義務感を持ってもらう(任意ではなく、支払うことがデフォルト、という意識を持つように働きかける)とともに、ポスターで人の目の写真を添え(EASTのS(Social)に対応)、一人1回100円であることを周知徹底する。
※ 一般的には、文字が小さくなったことで、必要な情報が読みづらくなり、読み手が欺かれたと感じる懸念がある。今回のナッジは、そうした倫理的な懸念についても十分検討した上で実施したが、文字を小さくすることの倫理的な適切性は、ナッジを実施する文脈によっても左右されるため、本事例を参考にする場合も、状況に合わせた検討をすることがが望ましい。
③好きな尾瀬の風景写真を選んで投票する感覚の協力金箱
- 想定した入園客の行動:「尾瀬のきれいな写真が並んでる!ふむふむ、協力金を好きな写真のほうに入れるのか、おもしろい(トイレ有料なんだ~)。じゃあこっちの写真に入れよう!」
- 介入の内容:思わず楽しくチップを投じることができるよう、異なる2枚の尾瀬の風景写真を貼り付けた協力金箱を2つ設置。好きな写真が貼られた箱にチップを入れる投票形式(EASTのA(Attractive)に対応)。
なお、ナッジ介入が最大限効果を発揮するよう、これまでトイレにたくさん掲示されていた協力金呼び掛けポスターは撤去した。
Intervention:介入実施と効果検証
(1)概要
- 介入前後を比較するため、まずは何も介入していない時期の山の鼻トイレの利用者数&チップ回収額のデータを集めた。利用者数は、元々トイレに設置されているセンサーにより、人の出入りをカウントしたもの。
- また、介入中と同じ期間に何も介入していないトイレと比較できるよう、山の鼻トイレから離れたところにある尾瀬沼トイレの利用者数と回収額のデータを集めた。山の鼻トイレと尾瀬沼トイレの並行トレンドは満たしている。同じ人がPlan1の時期やPlan3の時期に複数回登山をしていないと仮定し、「差分の差法」により比較検証を行った。
- トイレ利用者に対してRCTを行って、ランダムに介入・非介入に区別することが困難であったため、準実験と呼ばれる差分の差法を用いた。
※その後の介入策を検討・実施・検証するなかで、トイレ利用者数のダブルカウントが確認されたため、再分析した上で、その後の取り組みとあわせて公開予定。以下は再分析前の結果。
(2)前後比較の分析による検証結果
- 【Plan2:電子マネー】介入期間中、数百人のトイレ利用者がいる中、ペイペイで支払ったのは数人程度だった。そもそも尾瀬で電波が通じるキャリアがauに限られていたことや、入園客は60代を中心とする比較的高い年齢層であり、電子マネーアプリの利用者が多くないことが要因と考えられる。
- 【Plan3:表示名称変更&周知徹底】唯一、有意に支払額がプラスとなった。期間中は、男性が+15.5円、女性が+7.0円、全体で+10.0円だった。
- 【Plan4:投票形式】女性では有意な変化は見られなかったが、男性で有意に減少。楽しむ気持ちで支払ってもらおうとした結果、『払わなければならない』という義務感が薄れた可能性も考えられ、逆説的に義務感が必要だということが伺える。
(3)差分の差法による検証結果
- 平行トレンドの確認
- 差分の差法を用いるには非介入期間の動きが同じであるという平行トレンド仮定を満たす必要がある。非介入期間である8月16日~8月26日は、山ノ鼻トイレと尾瀬沼トイレともに概ね同じような動きをしていると確認できる。
- 前後比較分析で見られたPlan3の効果は、観察されなくなくなっている。今回の結果は、あくまで、今後の改善策を練る上でのヒントを得られたという形になった。
- なお、Plan3の効果が観察されなくなった背景としては、山ノ鼻トイレと尾瀬沼トイレともに1人当たり協力金が増える要因があったことが推察される。
Change:今後の展開
- 過去のトイレ利用者数と協力金額のデータを分析したところ、観光客が多いシーズンに支払い額も増える、混雑していない時間帯には支払額が減るという傾向が見つかった。つまり、トイレ利用者が多い=人の目が多いと、協力金を払う人が増える可能性がある。
- 差分の作法では、今回の介入による促進効果が観察されなかったことは残念ではあるが、効果が観察されないと考えられる介入施策を特定できただけでもプラスの面があったと考えることは可能である。今後、本実験の結果も参考にしつつ、さらに阻害要因・促進要因を深掘りし、介入策をさらに練っていく。
全体を通して工夫した点、課題と感じた点
実施期間がそれぞれ20日間程度と短く、介入策の効果をより正確に見極めるためには、より長い期間設定であることが望ましい。また、利用者の属性(年代など)や実際に個人が支払った金額などのデータを集めることができれば、さらに適切な介入策を見つけられる可能性が高まることから、今後改善を図る。
参考文献
安井翔太「効果検証入門~正しい比較のための因果推論/計量経済学の基礎」
問い合わせ先
公益財団法人尾瀬保護財団 info@oze-fnd.or.jp 特定非営利法人Policy Garage info@policygarage.or.jp
参考
トイレ協力金、支払いを増やすには? ナッジ介入で効果を検証~尾瀬保護財団×ポリガレ
出所:PolicyGarage Note