豪雨災害時の早期避難促進ナッジ
概要
防災教育に取り組み、事前の認識と準備が向上したにもかかわらず、豪雨災害の発生が予測される段階での予防的避難行動が十分に行われなかったことから、早期避難を促すメッセージを開発した。人々の利他性と規範へ働きかけるメッセージが、反発を感じられることなく、長期的にも効果がある可能性があることが明らかになり、現在では、「あなたが避難することが、みんなの命を救うことにつながります」というメッセージを出している。
背景
広島県では、2014年の土砂災害以降、防災教育に注力し、危険地域や避難場所を「知る」、災害の危険性を「察知する」、自ら「判断して行動する」、防災の方法を「学ぶ」、非常持出品などで災害に「備える」という具体的な行動目標のもと、「みんなで減災」県民総ぐるみ運動を展開した。その結果、避難所や避難経路を確認した住民の割合は、2015年の13.2%から、2018年には57.2%となり、大きな成果を挙げたように見えた。しかし、2018年の豪雨時に実際に避難行動を取ったのは、0.74%のみで、防災知識の教育やハザードマップの作成を通じた、事前の認識と準備の向上は、必ずしも実際の避難につながらないことがわかった。
Behavior / Analysis:課題の特定とターゲット行動の設定
早期避難の行動プロセスマップ
Strategy:介入設計
避難勧告のメッセージを変えることで、みんなが避難していると思うと避難するという人間の行動特性に働きかけることを通じて「避難するべき」であるという主観的な規範や、人々の利他性や損失回避という行動特性に働きかけることを通じて、避難することの主観的な利得や、避難しないことの主観的な損失に関して影響を与え、早期避難を促進することを考えた。この際に、行政が出すことのできるメッセージであることに注意して、メッセージの候補を作成した。
ただ、主観的な規範に働きかけることは、逆に避難を遅らせる可能性もあった。それは、みんなが避難していると思うと避難する一方、実際にはそれほど多くの人が避難しているわけではなかったからである。
実際にメッセージを作成した大竹文雄氏は、以下のように述べている。「この問題には悩みましたよ。1週間は悩んだかなぁ。今でも、覚えているんだけど、自転車で通勤している時に、突然、解決方法を思いついたんだよね。職場に着くまでに忘れないようにするのに必死だったなぁ。自転車事故に遭わないようにしないといけないしね。」
最終的に、社会的影響ナッジとして、(A)「あなたが避難すると、他の人の命を救う」という利得局面で利他性に働きかけるメッセージと、(B)「あなたが避難しないと、他の人の命を危険に晒す」という損失局面で利他性に働きかけるメッセージの二つの候補を用意した。
大竹文雄氏は、「後で知ったんだけど、釜石市の津波3原則の一つの「率先避難者たれ」 (片田2012)と同じだったんだね。」と述べている。
その他、主観的な利得と損失の認識に働きかけるために、(C) 「参照点を避難しないと命の危険性があるので、身元確認ができるものを身につけてください。」というメッセージや、救援物資に関して、(D)「避難所に避難すれば、食糧や毛布などを確保できる」という利得局面のメッセージと(E)「避難所に避難していないと、食糧や毛布などを確保できない可能性がある」という損失局面のメッセージの合計5つのメッセージを考案した。
Intervention:介入実施と効果検証
上記の(A)から(E)までの5つのメッセージに、もともと使われていた避難勧告のメッセージを加えて、それらが避難行動意図にあたえる効果を広島県民を対象としたRCT(アンケート調査)を通じて検証。
調査の実施期間:2019年2月28日から3月22日
対象者:広島県内在住、満18歳以上の男女10000人 (有効回答数5598)
調査内容:防災行動や知識に関する質問、豪雨が発生した仮想的状況のもと、避難促進メッセージを読んでもらい、避難勧告が出された場合の避難意図に関して質問
割り当て:6つのメッセージが市区町村内ごとにランダムに付与。
(出所:大竹他2020, p.74, 表1に加筆)
調査結果
(出所:大竹他2020, p.77, 図1)
図1から見て取れるように、Bの損失局面における社会規範メッセージが避難意思を最も高めていることが分かる。ただし、損失局面でのメッセージには次の追跡調査の結果からも見て取れるように負の側面もある。
追跡調査:2019年3月の調査回答者を対象に2019年11月に実施。有効回答4254
調査内容:第1回のRCTに用いられた複数のメッセージへの印象、第1回超最高の災害避難行動、避難準備行動、避難意識等についての質問
結果:メッセージの印象。第1回調査で用いたメッセージA, B, Cについて「避難したいと思う」、「責任感を感じる」、「改善の余地がある」、「意味がわからない」、「同調圧力を感じる」、「反発を感じる」に対して、あてはまる、ややあてはまる、ややあてはまらない、あてはまらないの4段階で回答。
メッセージ間で回答の分布に統計的に有意な差が出た「同調圧力を感じる」と「反発を感じる」の結果を、以下の図に示す。図から見て取れるように、損失局面での社会規範メッセージであるBに対して、同調圧力を感じたり、反発を感じる人の割合は、利得局面での社会規範メッセージであるAよりも有意に高い。
(出所:大竹他2020, p.88, 図2および図3)
また、避難の意識が高まったかどうかに対しての質問に対して、肯定的に答えた人の割合は、Aの方が、Bよりも高かった。つまり、損失フレームを用いたメッセージは、短期的には避難促進効果は高いが、より長期的には、利得フレームを用いたメッセージの方が、高い効果を持続させることがわかった。
(出所:大竹他2020, p.90, 図4)
Change:今後の展開
これらの調査結果をもとに、現在広島県では、
これまで、災害時に避難した人は、まわりの人が避難したからという方がほとんどでした。
「あなたが避難することで、みんなの命を救うことにつながります」地域で声を掛け合って、早めに適切な避難をしてください。
特に、高齢者の方や避難に時間を要する方などは、避難の手段などを事前にご家族や周囲の方々と話し合ってください。
というメッセージを用いている。
全体を通して工夫した点、課題だと感じた点
すでに述べた点ではあるが、行政が用いることのできるメッセージであるかどうかという点、そして、社会規範に訴えかける際の問題点(つまり、流行がないときに、どうやって流行を作るのかと同じ問題点)の克服に苦労した。
参考文献
大竹文雄、坂田桐子、松尾祐太(2020) 豪雨災害時の早期避難促進ナッジ、行動経済学 13, 71-93
片田敏孝(2012) 子供たちを守った「姿勢の防災教育」〜大津波から生き抜いた釜石市の児童・生徒の主体的行動に学ぶ〜 日本災害情報学会誌 10, 37-42
問い合わせ先
大竹文雄 大阪大学感染症総合教育研究拠点
Email: ohtake@cider.osaka-u.ac.jp