実際の行政現場で、「BASIC」や「EAST」といったツールは、どのように活用されているのでしょうか?
ここでは、「BASIC」の内「Behavior」「Analysis」「Strategy」のプロセスの一例を、「行動プロセスマップ」というツールを使って紹介します。また、「Intervention」のプロセスで必要になる効果検証の手法と、倫理的配慮の手続きについても解説します。
行動プロセスマップ Behavior - Analysis - Strategy
「行動プロセスマップ」というツールを使いながら「課題の特定」から「ターゲット行動に対応したナッジ設計」までのプロセスの一例を紹介します。
Behavior:課題の特定とターゲット行動の設定
まずは、目標とする行動に至るまでのプロセスを細かく時系列に列挙します。下図は、通知が届いてから税金を納付するまでの行動プロセスマップの例です。
その中で、特に問題を引き起こしている行動は何か、どの行動にターゲットを絞るべきかを検討していきます。下図の例では、「案内通知の開封」がターゲットとなる行動になります。
Analysis:行動に関する分析
次に、ターゲットとなる行動を妨げている心理的・認知的要因(意思決定のバイアス)を分析します。
例えば、通知を開封しない理由として「案内が目につきにくい」(情報・選択過剰負荷)、「後でゆっくり見ようと思った」(現在バイアス)などの要因が挙げられるでしょう。
Strategy:介入策の設計
分析した認知バイアスを踏まえ、EASTを活用し、行動を妨げる原因に対応したナッジを設計していきます。
例えば、Easy:封筒の文字数の削減、Attractive:納付しない場合の罰則の記載(損失の強調)、Social:周囲の納付状況の記載(社会規範の提示)などが挙げられるでしょう。
※行動プロセスマップ活用の詳細は、以下の動画で学ぶことができます:
効果測定の方法 Intervention
ナッジの効果は、対象者の属性や置かれている環境に依存して変化すると指摘されています。
つまり、海外事例で有効性がすでに確認されたナッジであっても、日本でも同じように効果を発揮するかどうかは試してみないと分からないことの方が多いのです。
ナッジの案を新しく作成したときには、本格的な事業として全面展開する前に、小規模な実証実験によって効果を測定して、「ナッジと目標行動の間にどのような因果関係があるのか」を確認する必要があります。
ここでは、因果関係の考え方とその把握の必要性について説明し、因果関係を確認するための分析方法として「ランダム化比較試験」「差の差分析」を紹介します。
因果関係の把握の必要性
因果関係とは、2つの事柄のうち片方が原因で、もう片方が結果になっている関係のことです。
因果関係の有無や程度を正確に把握するためには、原理的に、「原因と想定される出来事がもしも発生していなければ、どうなっていたか」という反実仮想の結果と、実際の結果を比較する必要があります。
例えば、大学を卒業したことが原因で、ある人物の生涯年収がどのくらい変化したかを正確に把握したければ、その人物が仮に大学を卒業しなかった場合の生涯年収と、実際の生涯年収を比較する必要あるということです。
しかし、皆さんもご存知のように、反実仮想の結果は現実には観察されません。そこで、反実仮想の結果を、実際の「もっともらしいデータ」で埋める作業が必要になります。これから説明する「ランダム化比較試験」「差の差分析」はそのための分析手法なのです。
関連資料
ランダム化比較試験(RCT:Randomized Controlled Trial)
RCTは、以下の手順で行います。
①対象者を複数のグループへランダムに割り振る
②それぞれ「介入群(ナッジを提供する群)」と「対照群(ナッジを提供しない群)」とする
③介入群と対照群の間で目標行動の結果を比較する
ランダム化とは、コイントスや乱数表などを使って、無作為に割り振ることを意味します。全員を同じ確率のもとで割り付けるので、「たまたま介入群に割り振られた」「たまたま対照群に割り振られた」という状況を作り出すことができます。
対象者が自らどの群に所属するかを自己選択した場合と違って、群間で対象者の属性の偏り(セレクション・バイアス)が生じません。ほとんど同じような人たちに対して、片方の群にはナッジが提供され、もう片方には提供されていないことになるので、群間の結果の違いに着目することで、ナッジの提供が目標行動に与える因果効果を捉えることができるのです。
RCTは、因果推論において最も信頼度の高い方法と言われています。
関連資料
差分の差分析(DID:Difference In Differences)
DIDは、以下の手順で行います。
①ナッジを提供する介入群と、ナッジを提供する以前の目標行動のトレンド(長期的な変化の傾向)が平行になっている群を、ナッジを提供しない対照群とする
②介入群と対照群で、目標行動の介入前後の変化を計算する
③介入群の前後の変化(②)と対象群の前後の変化(②)の差分を計算する
DIDは、RCTを実施できない場合に、①の条件を満たす群を事後的に対照群に設定し、ナッジ提供の因果効果を評価する分析手法です。
例えば、ある地域でナッジを活用した省エネ目的の広報を行ったときに、その地域における省エネ行動の事前のトレンドが似ている別の地域を、対照群に設定するイメージです。ナッジ広報が行われた介入群の地域における省エネ行動の広報前後の変化と、対照群の地域における同じ時期の前後変化を比較します。この変化の差分が、ナッジ広報が省エネ行動に及ぼす因果効果を捉えていると考えることができます。
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前後比較
DIDと違って、ナッジを提供した地域やグループ単体で、ナッジ提供前後の目標行動の変化を観察することを「効果測定の代わり」とすることもあります。
DIDの特徴を踏まえたときに、単純な前後比較で効果測定するときの注意点は、仮にナッジの提供が行われなかった場合に目標行動が時系列的にどのような変化していたか、についてこの手法では直接考慮できないことです。目標行動は、ナッジの提供がなかった場合にも、社会・経済的な影響などによって変化する可能性があります。
実はDIDでは、対照群が、ナッジ提供がなかった場合の時系列的な変化を捉えていました。その変化を差し引いた上でも残る目標行動の変化を、ナッジの提供の効果と解釈していました。
単純な前後比較を効果測定の代わりにするときには、「仮にナッジの提供が行われなかった場合にも、今観察されている目標行動の変化が発生していたのではないか」「この変化は、本当にナッジの提供が生み出したものなのか」について丁寧に吟味することが重要です。
倫理的配慮の手続き
行政現場の最前線である地方自治体での「ナッジの活用」は、住民一人ひとりの自律性を尊重しながらも、住民の生活に介入し、行動様式に影響を及ぼすものです。ナッジによって推薦される行動変容の方向性が、社会と住民にとって本当により良いものになっているか、つねに省みて検証することが重要です。
「ナッジの提供が、事前の想定通りに良い影響を生んでいるか」「想定外に悪い影響や副作用を生んでいないか」を確認する意味でも、上の「Intervention」で解説した、効果測定の手続きを丁寧に行うことが大切になります。
これまで、RCTはエビデンスの質は高いものの、実証事業中の一時的な期間であっても、「ナッジを提供する」「提供しない」という違いを設けるため、現場で採用するときのハードルが高かったようです。
現在では、RCTでナッジが想定通りの効果を持つことを確認した後には、そのナッジを全体に提供して機会の公平性に配慮することを事前に決めてから、RCTを採用して効果測定を行うケースも増えてきました。また、ナッジの効果測定を行うことを役所のホームページなどで告知することで、透明性を確保する手続きも提案されています。
以下は、日本版ナッジ・ユニット連絡会議が提案している倫理チェックリストです。こちらの内容を参考にしながら、「ナッジの活用」を適切に進められるよう、努めていきましょう。
『ナッジ等の行動インサイトの活用に関わる倫理チェックリスト』
(出所:日本版ナッジ・ユニット連絡会議ホームページ)